サービスの高齢化と、実はシニア向けビジネスの再チャンス
いろいろなウェブサービスがあるが、昔からあるサービスの高齢化が否めない。
2ちゃんねる(サービスと呼ぶかどうか?)も高齢化しているし。
いろいろなシニア向けサービスも、最初「対象者」だった人の高齢化に伴い、どんどん高齢化している気がする。
昔からあるシニア向けサービスは結構平均年齢が高いんじゃないかな?と思うことがある。
昔の50歳代に標準を当てていれば一緒に年をとるし、そのサイトに対して思い入れが強ければ、ユーザーは卒業せず、サービスがともに成長することを望む。
すると、サービスは必然的に高齢化し、新しい人を受け入れず、新しい50歳代に対応することもできず、時代から忘れられてしまう。
流れない人たちを対象にしたビジネスをしている人が、新しい人を対象にしようとすると、既存ユーザーが「僕のことを捨てる気?」となり、意外とうまくいかない。さらに、今までの50歳代と過去の50歳代が微妙に違うことも、感覚的に理解をするのが難しいから。
ユーザーが卒業するサービスって必要なんじゃないかなと思う。
たとえば、女性雑誌。
いろいろな女性雑誌があり、中学時代、高校時代、大学時代、社会人になってから、30歳になってからと、読む雑誌が違う。
もし、社会人になったのにセブンティーンとか読んでいたら「ちょっと(だいぶ)違うよねー」という感じもするだろうし(と、女性雑誌を読まない私がいうのもあれだが。なんせ、高校時代に読んでいたのが週間ベースボールと月刊ジャイアンツ、スポーツaiという巨人ラブ)。
教えて系サイトで「私はどういう雑誌を読めばいいですか」と時折質問があがるが、年齢や思想・方針にマッチした雑誌があり、(たとえば、ギャル系か、保守系かなど)あったものを購入する、ユーザーが雑誌を選び、いつの間にか卒業する。という仕組み。
中学生と話すと、サイトも年齢層によって分かれているんだなあと思う。
「○○なんて、いまどき低学年しか使わないよぉ」と笑う中学生を見て、彼らは彼らなりに、○○というサイトから卒業しているんだと思う、それが、成長。
ところが、シニア向けサイトは、卒業がない。
50歳から墓場まで、なんて、同じにすることは絶対できないのはわかっているけど、”シニア”という言葉が大枠過ぎて、途中で思考停止をして「まー、いっか!」みたいな感じになっている気がする。なので、どの層に対応するのか、ユーザーが見た瞬間にサイトを選択できない。
誰もを取り込むのじゃなくて、誰かを取り込む、というスタンスが必要なはずなのに、なぜか、「シニア」という言葉は大枠でくくられてしまう。不思議だなあ。
男性の場合は、定年退職前と定年退職後で生活が大きく変わる。
それなのに「早めに取りこむ」と考えて、どっちにもビームを出すものだから、なんとなく、調子はずれになる。
だからこそ、今、シニア向けビジネスがチャンスなのか!と、先日思った。
今、まさに定年退職をし、それでも非常勤として働いていた団塊シニアーたちが、(不況により回数が減ったりするなどで)自分のことについて考えなくてはいけない時期が来た。
が、今までのシニア向けサービスは高齢化をしてしまい、新米シニアたちは、そのサイトのノリについていけない。
だから、だから、ぽっかり空いているのである。
あ、いくつか、そこに当てはめるサービスが出てきているけど。
全体的に、卒業を作るサービスって必要だと思う。
そのサイトを卒業して、次のサイトに行く、という流れって大切だと思う。
それが、サービスが高齢化せず、常に新しい人たちが現れて、血液循環がよくなる仕組みなんじゃあないかしら。
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