年代”感”ギャップ

Uさんが言う
「うちのおかーさん(73歳)にいいと思ってらくらくホン買ったのに、最低限の機能しかないっていって買い替えを要求されたのよ」
「ねー、年よりはカメラなんて必要ないのにね、と思っていたら、本人は使いたいって。文字が大きければ高齢者向けになるのかしらね。だから、今度FOMAのらくらくホンに変えるのよ」
できるのが「すごい」のは、まだ、一般化されてない証拠。
お歳暮を義理だけであげていた時代「欲しいものが欲しい」と言った丸井の広告はセンセーショナルだった。
私は小学校のとき、西武の「普通がいいの」というキャッチに腰が抜けるほど驚いた。
今、それが当たり前になっている。
でも、出たときはセンセーショナル。


「今、シニア層に当たり前になりつつあること」
を、若者は、旧態依然のままで、「シニアとはかくあるべき」に凝り固まっているんじゃないだろうか。
あのころの驚きは、今の驚きにあらず。
多くの人が、その固定概念に縛られている。
うちにお通いになる多くの人が

「むすこが「お母さんにできるわけがない」という」
「だんなが「お前にできるわけがない」という」
「年なんだから、できなくて当たり前だよ」という」

年なんだから。の「感触」は捨てたほうがいい。それから脱皮して、自分が年をとること、年を取っていると見られること、すべてを受け入れなくちゃいけない。といいつつ、年齢をごまかしていますが。心が20歳なので。では。