生の声の不思議
ウェブを見た瞬間にシニア層は様々な評価をウェブに対して下す。
「いいんじゃない?」
「この色使い、あまりよくないけど。私は嫌いだけどね」
「なんか、動いててお金かかってそう」
皆さん色々な事を仰る。
しかし、終わった後のアンケートは日本人ならでは?の大体が4点である。
たまにアンケート調査の回答を「生の声」と表現する方がいるのですが、その数字は傾向ではあっても、「生」ではない。まあ、人に説明するのに「10人に聞きました」というのと「300人にアンケートをとりました」というなら300人にアンケートのほうが、よっぽど信頼できそうな気がする。人間と言うのはそういうものらしい。
「どんなひとでも、私が、あの人を好きなの」というより「あの人は誰に聞いても評判がいいから好きなの」というのに似ているだろうか。自分を信じる力が弱まっているのかもしれない。
アンケートとはルーレットのようなものだ、と思っている。
調査票を作る人が、「アンケート」を作れる。
時折自由記入欄にレポート用紙をくっつけて意見をしてくる人もいるが(笑)書く、と言う行為はしゃべるよりも本音が出にくい。
ましてやキーボードで調査をするなんて、「打てる」人しか「入力できない」。
私は比較的キーボードを打つのが早いので、考えながら打っているが、(だからたまに話が飛ぶ)シニア層は頭の中で起承転結を考えながら打つ。緊張をしているのだ。
それでは、シニア層の生の声はインターネットで拾うのは厳しいのかと。
なぜ、数字を信じて、目の前にいる人を信じないんだろう?
なぜ、あなたは、友達の評判ばかり気にして、目の前にいる恋人を見てあげられないのだろう?と同じ。
「あの人は動物占いで狼だから、きっとこういう性格よ」でも、目の前の人に「あなたは電子レンジを見ているのが好きですか」とは聞かない。(動物占いによると狼の人は、電子レンジを見るのが好きだそうだ。ちなみに、私は狼であるが、好きである。)
現代人のコミュニケーション不足、要は「そんな感覚」、件の食卓マーケティングの本であれば「おなかがすいていたみたい」とか、「文句を言われなかったから、良かったんじゃないのかな」
目の前にいる人に聞かない。
それで、アンケートを「生の声」だと思っている時点で、シニアビジネスの痛さを感じてしまう。
でも、私が普段接している数十名、過去に接した1000名以上のシニア層に聞いた意見が、生の声かといわれたら、それが真実かどうかは多分、誰にも解らない。しかし、少なくとも紙やネットで書いているものよりも少しは真実に近いと思うし、少なくとも生の声を聞ける信頼関係は、あると思う。