老人はキレやすいの?

10月 18, 2017

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるさんより
なぜ最近の老人はキレやすいのか?

キレやすくなっているのは老人であり、若者ではない。
もう一度いう、大人として成熟できず、我慢のなんたるかを知らず、ついカッとなって暴走するのは、20代ではなく、60代以上の年齢層において激増している。このエントリでは、事象の裏づけと、なぜ最近の高齢者がキレやすくなっているかについて考察する。なお、「高齢者」「老人」とは、60歳以上の日本人男女を指している。
<中略>
「暴走老人!」にて藤原智美は、なかなか面白い分析をしている。要するに彼・彼女たちは「待てない」のだそうだ。歳を取るほど時間が早く過ぎていくという焦燥感が、予期せぬ「待たされる時間」に遭遇したとき、発火点となって感情爆発を引き起こすという。寛恕の心とか、「がまん」って言葉を知らないんだろうね。
あるいは、昔と異なり、「周囲から尊敬されなくなった」ことが理由としてあげられている。時間の流れがゆるやかだったときは、その経験が若者にとっても有益だったが、いまでは、老人が持っている知識・経験を下の世代がまったく必要としていないことが一因となっている―― そんな指摘もある。

面白そうな本なので、この連休にぜひ読んでみようと思います。
さて、じゃあ、本当にそうなの?ということについて。
私は昔の老人を知らないので、今の老人がキレやすいかどうか、ということは解らない。
ただ、教えていると待てる人と待てない人がいる。若い人は理解が早いから待つ必要がない。高齢者になると待てない。たとえば隣の人が質問をしているときに平気で割り込んだりする。50歳代もそういうのがある。
入会時に自分が年なんだから、自分を尊重してほしい、という意見も挙がる。「後ろを向いてください。あなたは決して年を取っていないのです」と私は笑顔で言う。すると、少し恥ずかしそうに「ああ、あんなおばあちゃんでも頑張っていらっしゃるなら私もがんばれるかしら」と仰る。(あなたも、十分に、ご高齢ですが?)このせりふをぐぐっと一気飲みする。
キレるというのもあるのだけど、たぶん、全体的に高齢者は不安なんじゃないかと思う。
忘れられる不安。年を取って昔のようにできない不安。自分だけが老化しているんじゃないかという不安。
パソコンという言うことを聞いてくれない機械。クリックすると怒られる。(エラーメッセージのことをご高齢の人はみなさん「怒られた」と表現する。ちなみに、セキュリティ警告も怒られるものの一つ。)
ご高齢者に関して、「使いやすさ」の中には「不安の軽減」が多く含まれていると思う。
この機械はあなたにも安心して使えます。それがこれからの機会のキーワードじゃなかろうか。
以下余談。
そして、実は、最近、本当によく思うこと。
それは教育。
学んでない人は、学ぶ姿勢がない。学んだ人は我慢がきく。これは、本当に本当。答えが出ない時間を受け入れられる。学んでいない人は、答えがすぐに出ないといらつく。
肩書きがある方、という言い方は好きではないが、努力して、上まで上がった方ほど、考えることが習慣づいているので、考えることを厭わない。(これは肩書きがない人は努力ができないという意味ではなく、肩書きがあった人は比較的努力をする人が多い、という意味。学歴主義でも、肩書き主義でもない。)
反対に、学ばない出来てしまった、学校の勉強なんて嫌いさ、勉強なんて何の意味がある。という人ほど、まずは「考える」ということがどういうことかということが解らないと前に向けない。奥様でも、「私、お勉強が好きで、昔から本を読んでいたのよ。」という方は、解らなくても学ぶ、キレずに学べるが、「私ー。昔遊んでばっかで、勉強なんて全然したことなーい」という方は、比較的キレやすい。「解るように教えてよ!」とヒステリックに叫んでしまう方はそういう傾向がある。
直線思考、というところでも書いたが、すぐに答えをほしがるので、キレてしまう。
ご紹介したエントリとは少し違うが(犯罪ではないので)がまん、ということを知らないという点では同じかと。
その我慢は、考える時間と似ているんじゃないかな、と思う。
学ぶことが楽しいといえること。学んで成長する自分が楽しいと思えること。
そして、学ぶこととは関係ないけど、誰かに必要とされること。だれかに必要とされて、愛を感じること。
それだけでも老人は落ち着くんじゃないかなあと思う。愛だろ、愛。(古いですねー)
愛する・愛されることに結果(テクニック・直線思考)をだしたがるスイーツ(笑)雑誌の吊革広告を見ていると、自分たちの未来がちょっと不安になる。