忘却力
人間は、忘却の生き物である。
毎日毎日、いろいろ忘れて、いろいろ美化しているから、たぶん、生きていられるんだと思う。
歴史が面白いのは、きっと、雑味が時間の流れで取れてしまうからなんではないかな。
先日、久しぶりに中学時代の同窓会に行ったのだが、そんなに仲が良かった記憶がないG君が「お久しぶり-!」と近くにきた。
「僕さあ」とG君が言う。
「中学校時代に○○ちゃんが好きだったんだよね」
へえ、そうかい。(隣に塀ができたんだってねー)
「でも、モリに中2の時にバレンタインに手作りチョコを貰って嬉しかったんだよねえ」
へえーー。そんなことがあったんだ。あげた(らしい)本人が度忘れ。へーへーへー。
っていうか、手作りチョコはコストパフォーマンスがいいので、社会に出て忙しくなる前はずっと手作りだったのだ。
「それだけなんだけどさ、嬉しかったってことを言ってみようと思って」とG君は去って行った。
その時に、しみじみ思った。人間はどうでもいいことは忘却するし、残ることは、だいたい、美化されている。美化なのかどうかおいといて、そういう美しい思い出は、残るらしい。
さて、話は変わってシニアである。
人間は忘却の生き物だが、加齢により、忘却力は加速していく。
そして、若い人と同様、「美化された思い出」だけが残る。
例えば、昨年以来1か月ぶりに教室に復帰する人が相次いでいる。(年始は結構忙しい)
まあ、みなさん、すっかりきれいに、忘れている。
だがしかし
やったことは覚えている。美しく、仕上げた自分を思い出している。美化する過去。
「なんだ、前だったら、こんなのチャチャチャとできたのに」
いや、それ、かなり美化しすぎ。そんなにできていないはず。
やりかたは一切、忘れているが、やったことは覚えている。
なので、イライラが募るようだ。
「前はあんなに簡単にできたのに!」
そんなこたぁ、絶対ない。前だって、ものすごいがんばってた。
シニア層に商品を使っていただくとき、彼らが想像するのは「出来てる自分」だ。
できて、ストレスがない状態を想定して、商品を使ったり買ったりしている。
商品開発やサービス提供の時に、客観的にシニア層を見るのではなく、シニア層の主観でどう見えるか、ということも考えなくちゃなあと思う。
メモ–
今考えているネタ
・人生の残り時間が短くなると、人は焦るのか?
・口コミを信用しないシニアが多いのだが、口コミは「信頼」ではなく、「足切り」なのか。な?
いろいろやりたいことが多すぎて、何もできていない現状を打破せねば!