怒られることと成長と。

誰だって、怒られることは嫌いだ。と思う。
いっそのこと怒られた方がいいと思った経験もあるが、それでも、怒られるのは怖い。注意されることを怒られていると感じることもある。注意はする方もされる方も難しい。

弊社の面接では、最近注意されたことを聞いている。
最近、「ここ数年、注意されたこともない」という答えが増えてきた気がする。体感。

注意されたことに気づいていないのか、または、本当に注意されていないのか。後者であれば、注意してくれる友達がいないのか、コミュニケーションが希薄なのか。注意=怒る=パワハラまたは、怒らない子育て方針なのか?

別に、その人が怒られたり注意されなかったりするのは、私にとっては関係ない。しかし、怒られなれていない、注意されられ慣れていない人ほどプライドが高くて、少しの注意に激高しやすい気がする。そして、言い訳が多い。

プライドが高くて、注意されていないというのは年よりの特権?だったような気がするが、最近は、学生さんでその傾向がみられる。

例えば、数学の割合の問題で、解く手がかりがない場合、数直線を書かせたりするわけだが、「書けません」を繰り返す。「とりあえず線一本でも書いてみようか」「書けません」「線一本だから」と促すと、後から「私怒られるとやる気なくすんです」と言われることもある。「わからないから、聞いてるんです。そういう風に言われるとやる気なくします」

線一本のプライド。こちらもまあまあのダメージを食らう。

プライドが高いと間違いに対して言い訳が増える。「読み間違えたダケだから」「計算を間違えたダケだから」間違いはそれの積み重ねだし、そのダケの痕跡を消してはいけないと伝えているが、プライドが高い人ほど消しゴムの利用率は高い。

人は間違えるし、その間違いは次のステップへの正解だ。間違えた方が頭に入ることも多い。間違えたっていいじゃない。やり直せば。工夫してみればいいじゃない。失敗は成功のマザー。(By長嶋茂雄氏)

しかし、プライドが高い人は「間違えたこと」「間違えること」をかたくなに認めない。注意を絶対に受け入れない。

年を取り、注意されることが少なくなるから中年以降はものすごくプライドが高くなるのかと思っていたら、最近の学生さんにその傾向があって、怒られないということは、その人の成長を阻害しているのではないかと思うようになった。

すごいね、できるこねと心地よく褒められて、今以上の成長の余地がなくなり、20歳にして中年のような心を持っている。

インターネットでコミュニティが狭くなって、自分以外のコミュニティの存在を知ることが難しくなった。その中で常識が醸成されて、心地よく褒められて、成長が止まり、若者中年ができあがる。これから未来はどうなるんだろうと、ちょっと心配になる。本当に余計なお世話だけれども。