[私]以外。

私の周りはおばさんだけど。
と、某さんが言う。
「同窓会に行ったらおばさんばかりでげんなり」
と、某氏が言う。
「同い年で腹とか、でてるんだぜ」と、告げる。
「えーと、あなたもですが。」と、私は言いたいが黙る。
「皆さん同じことを仰いますね」と満面の笑みで生暖かく微笑む。(どっちだ!)
「私以外」はそうである。という意見である。いつも思うが、この「私以外」というのは非常に曲者である。
調査だと、当たり前だが自分のことだけ答えてもらう。
グループインタビューでも「友達が言っていたんだけど」はNGだ。


だが、その逆もある。「私を含めて」の場合である。
「友達が言っていたんだけどね」
「周りはみんなそうよ」
「更年期障害が終わってから、だんなの顔を見るのもいや。」
「みんなそうよ」と某さんが言う。もちろん、某さんは「顔を見るのもイヤ」だそうだ。
「この年になると同い年の男性って近寄らないでって思っちゃうわよね」と某さんが言う。(なんだか最近そんな会話ばかり。)
「みんなそうよ。私の周り、みんなそう。若いこの方がいいじゃない」もちろん、某さんは「おじさんの顔なんて見たくない」そうだ。ああ、哀しき哉。
「私」が含まれた意見は非常に面白い。
なぜって、それは周りの意見がどうであるということを意識しているのではなく
周りというのは、自分を実証させるための、証明させるためのより強い意見として反映されるからだ。
本当に周りがどうなのかは知らない。
しかし、その人が強く思っているということは解る。
シニアの、「私」を実証させるための「周りの意見」、聞こえていますか?
で、シニア層と一緒にいることで、私は結婚に対して夢がなくなっていくのである。
世の中の男性、がんばれ!