理想のシニア、現実のシニア

「シニアマーケット」このカタカナは人を惑わすには充分なようである。
引きこもりがニートになって少しかっこよくなったように(?)、おじさんとか、おばさんと言う言葉も「シニア」という言葉によって突然キラキラと輝きだす。
シニアはアクティブで、消費意欲も高く、自分に投資をするというシニア像、おばちゃんはとにかく雑誌とかで見つけた場所で団体で行って試して、「あら~これいいじゃない」ときゃははと笑いながらモノを買って、好奇心が旺盛なので色々なお稽古事を試してみて「あたしできなーい」という。
同一人物が呼ばれ方で、フィルターのかけ方で大きく変わる。
シニア男性に然り、ゴルフ場でハーフタイムの休憩のとき(と、いうのかしら?)ビールを飲み、大きな声で笑い、「いやいやいやいや」とお互いを褒めあう、それがおじさんだとしたら、それはまたの名はシニア、なのである。
別にそれがどうって言うことはないのですが、シニアと言う言葉に惑わされて、現場を見る目にフィルターがかかってしまうのではないかと言う危惧。実はシニア層の消費行動は現場がよぉく知っているはずなのに、現場の声も聞かず、とにかくシニア層=アクティブ、若々しいというフィルターで現場に出てしまえば、彼らもそう見えてくる。
まあ、市場ターゲットとは恋愛みたいなものなのだ。良く見ようと思えばいくらでも良く見えるし、自分が興味ない人は周りがどんなにかっこいいといっていても、はっきり言って全然格好良く見えない。反対に自分がうぉ、いい!と思った人は周りがどんなに「えー。趣味が解らん!」といっても、いいものはいい、その先入観のフィルターがかかってしまっている以上、客観的に見ることは出来ない。
また、ちょっと見栄を張ったシニアの本質も突かなくてはいけない。どこまでが本音で、どこがウソなのか、見抜けなければなりませぬ。
よく年をとるとコドモ帰りする、という話が出ますが、それは実際そういうところもあり、それも「シニア」とか「シルバー」というキラキラした言葉で「うーん、なかったことにしよう!」となってしまう。
ところで、自分は30年後、どうなるんですかね、という質問を若い人に会うといつも言われますが、多分、本質的なところは変わらないと思います。その頃例えば、我々の世代が皆頭を紫に染めることがはやって「パープルシニア」とか地下のままの人の事を「いぶし銀」などといわれたとしても、本質的なところは変わらないんじゃないかなあと思うのです。
また、「団塊世代は特別か」と聞かれますが、団塊世代が特別ではなく、団塊世代の下の世代はしっかり者が多いし、団塊世代よりだいぶ上の67歳以上くらいの人からもしっかりものが多い。世代として団塊世代周辺が「ちゃっかりもの」が多いだけなのじゃないかと思います。あとは色々特性はありますが、特別だけにフォーカスすることもなく、違いだけに注視するのではなく、根本的に変わらないもの、表面的に変わっているもの、それが世代によるものなのか、年齢によるものなのか、色々な視点で観察して欲しいものです。シニアマーケットを専攻する方には。
私はそれをインドにいたときに学びました。差別じゃなくて区別を心の中でしている(やや)単一民族なジャパニー(日本人)が持っているフィルターに気づいてこそ、市場が段々見えてくるのではないかと。インドで得たものはマラリアだけではないのです。ってこと。(笑)