同情するなら

#そういえば、私は、アダチユミさんに似ているといわれていた。それも家無き子時代の。どれだけ子役なんだろう。
内部資料用アンケートを作成している。それは真実を知りたいことは勿論、「こうしたい」という意見が多いです!と中の人をワクワクさせるような結果を出すためのものである。
当社と共同で作っているのは団塊世代のご担当者様。アンケート対象者は60代後半。
作りながら、高齢者に対し、哀れみの気持ちを持っていることに気づかされた。
テストアンケートをした時に高齢になることの問題点をいくつか選択させるものがあった。


他の方は私たちの予定通りに「高齢者になると孤独になりがちである」など模範解答で出してくださったのですが(模範解答?)一人、メモ欄に大きく書いてあった。
「寂しいとか、不健康とかって、自分の責任じゃないですか。高齢になることとは関係ないし、それなら努力していきたい。」
そのメモを読んだときに、私たちは高齢者=寂しい、だから私たちが楽しくしてあげなくちゃいけないというすごくすごく奢り高ぶっていることに気づいた。だから、若者が作るサービスは高齢者が寄り付きがたいんだ。
うちに通うご高齢の方々は全員容赦なくサービス提供をしている。
甘やかしていることもないし、奢りもない。そんなものをもっていたら捕って食われてしまう(笑)
しかし、うち以外の人について、まだ心のどこかでそんなことを思っているという自分に気づき、驚愕したのであった。
「私たちは体は動かなくなっているけど、まだ色々出来るのよ。なめないでよね」と以前お会いした70歳の人が仰っていた。そのときは「そりゃそうだ」と思っていたのですが、やはり、自分の心のどこかにあるんだろう。
同情するなら根性を入れて楽しめる場所を提供して。哀れみよりも、実益を!ってとこだろうか。
バリアフリーって言葉も、哀れみじゃなくてそのツールを誰もがストレス無く使えるってことなのかなと友人の車椅子ユーザーと高齢者を見ながら、自分の心の偏った見方につくづく反省したのでした。
たった一人だから、多分、大勢の意見からは棄却されるんだろう。
でも、そういうところに、心もあるんだなって思う。
あー、しかし本調査に入ったときの大変さを考えると・・・。(これはシニア層対象の調査をしたことがあり、調査票を手にとって見たことがある人なら全員が持つ表現できない共通の頭の痛み。)